私はオタクじゃなかった(1)
しっかりと伏線を拾う作品が好きだ。
物語の最後が始まりとつながっているような展開はぞくぞくする。
私が最も長く多く使ったあのアカウントは壮大な自分語りがしたくて開設したものだった。
私は人に語り聞かせるだけの人生を持っている、が聞かせたい相手はそんなに多くない。ゆえにあのようなアカウントが生まれた。居心地のいいところであった。
これは私の物語にカタルシスを与えるべくプロローグとエピローグをそろえるべくしてする行為だ。
久方ぶりの深い深い自分語りだ。本当に呼んでもらいたいところまで読者をあきさせないようにしなくてはならない。
そう、私は長い間オタクではなかった。
中学時代、私は陸上部員として活動していた。当時私の学校は良くも悪くも普通の学校だった。ところが私たちの世代で不良というものの存在がいなくなる。私たちと同じ年に赴任した教師がそうしたのである。学年主任として赴任したその教師の手腕、カリスマ性は中学生の私にもわかるほど圧倒的だった。
主任の立場でありながら自身のクラスを持たなかったその教師は陸上競技部の顧問としてその手腕を発揮する。当時の1学年の人数が100人弱。私たちの学年で陸上競技部に所属していたのは30人弱。こうして彼女は学年の1/3を掌握し私たちに模範的な活動をさせることで学年の健全化を成功させた。
スポーツという努力の世界で精神面が与える影響は計り知れない。若く何も知らない私はそれを信じ正義を演じ続けた。気分がよかった。仲間が多いのは純粋に楽しかった。
反抗して不良になろうとする生徒をいじめていいのだから。なぜならこちらは数が多く、その上先生に認められた正義なのだから。
そんな正義が曇ったのはある年の冬、インフルエンザで学級閉鎖が起こり部活動が禁止された日だった。当時顧問のお気に入りとしてサッカー崩れで来ていた先輩が自分のお気に入りだけを集めて練習を行った。そこに呼ばれなかった私はその先輩に食いかかった。今にして思えばただ自分が仲間はずれにされたことが気に食わなかったのだと思う。だが当時の私にとって大切だったのは「それが正しい行いかどうか」なのである。
学級閉鎖で部活動が禁じられているときに行うそれは決して正義じゃない。
必ず正義でなくてはいけない私たちがルールにそむくことがあっていいはずない。
結果として私は部内の柄の悪い先輩たちに恐喝にあう。その先輩たちと殴り合って勝てると豪語したことにされて、後に生徒会長を務めるサッカー部の部長に吹き込まれて。
今思うと勝てるみたいなことを頭で考えた記憶はあるが口にしたかどうかはあいまいでよしんば口にしていたとしてもろくに面識もないサッカー部の部長が聞いているはずないのだ。正義の行いとして部長の友人とけんかしていたことからまあはめられたのであろう。
悪いのはすべて私ということになった。それでも陸上を続けたのは友人たちのことが好きだったからなのであろう。
ちなみに顧問にもそのとき相当いろいろ言われたが半年ほどたってサッカー崩れの先輩たちが後輩に手を出そうとしていた性欲猿だと発覚してから「お前の考えはまちがってなかった、ただやり方を間違った」と告げられた。笑ってしまう、あのときの悪者は俺しかいなかったじゃないか。
そういやいってなかったがわが陸上部は部内恋愛禁止である。実に前時代的規律で笑ってしまう。
中学編2部はこの顧問が教え子の教育実習生を連れてくるところから幕を開ける。
さて数は多いといったがわれらか陸上競技部、練習は普通にしんどいので脱落者、幽霊部員が出てくる(それでも顧問の私兵であることに変わりはないが)
一方でとても熱心な活動を部活面でも兵士としてもこなすものが現れてくる。そう、あっという間にカーストの完成だ。まあ実際は大きく立場の差があったわけではないし私の立ち位置はバラモンとクシャトリアの中間位で何も困っていなかった。
さて冒頭の教育実習生、厳密には教育実習できていたのではなく教育免許を持っていて卒業までの間暇だし経験つむのもかねてコーチとして陸上を教えに来た、という具合である。呼称がめんどくさいので当時のあだ名、馬と表記する。
馬は短距離選手だった。陸上競技はバラエティ豊かなスポーツで一口に陸上といっても短距離、中長距離、各種フィールド競技といろいろありコーチとして口が出せるのは自分の専門職だけである。
本題に入ろう。この男は中長距離やバラモン以外の人間を蔑視した。
そりゃ人間なんだし普段かかわる子のほうがかわいいだろう。だがかなしいかな多感な中学生にその言い訳は通じずバラモンとクシャトリアの間に大きな溝が生まれることになる。
中長距離を馬鹿扱いして校庭60週だかはしらされたのは今でも忘れていないしバラモン側の後輩すら馬にキレていたのはよく覚えている。馬鹿な中長距離は60週を数えていられないだろうから10週ごとに握った紙をちぎれと。
この馬に文句を言っていたことが顧問に発覚しクシャトリア集団が説教を受ける。せっかく来てもらってるのになんだその言い草はとかなんか起こられた気がするがよく覚えていない。
明らかな差別であっても身分が下なら勝てない、それだけがわかった。
この件で私は教師という職業に強く絶望する。親の仕事よりよく見るのが教師だ。あこがれたっておかしくない。ただあんな男でも教師になれてしまう、という事実が私の中に深く刺さったしバラモンクシャトリア間の待遇差はまあやさぐれるわなと思う。
この馬こと梅田が赴任した中学校が高校の近くにあり、高校の部活の同期が馬の指導を受けていたとわかるのはまた別の話。
もちろんこれは中学時代の思い出の中で影響が大きかったものだけとりあげているのでありほかにも重いではいろいろとあるしなんなら本当にいいたいことはなにも書けていない。
しかし過去を振り返るのはなかなか頭が痛く体力を使うので今日はここまで。
ここまで読んでしまったあなたは私からの本当のメッセージが出る本編まで読んでほしい。